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菜の花
110326
惨い地震が起きてしまった。
何よりも被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

自然の脅威と人間の無力さと建築構造物の弱さを改めて感じさせられます。
建築に携わる生業に就いている以上、避けては通れない道だが、作り出した建物が傷むのは相当な痛みを伴う。幸い(こんなこと言ったら石を投げられそうだが)東日本に自分の設計した建物は無かったので被害はない。

 その間に、ずっと通い続けてきた鰹節王国の建物が完成した。大地震の際に丁度、最後の建物検査をしていた。その裏でひそひそと「東北の方で地震・津波」の言葉が囁かれていた。鰹節王国は全然揺れなかった。
 建物の方、最後の方はバタバタで完成に辿り着けるんやろかなんて思ってたけど、何とか何とか間に合った。
 完成に立ち会うお客さん、皆、笑顔で「どう使おう」ってハイな気分で語られてた。私も、この瞬間だけは嬉しさを出す。翌日からは小さなクレームのオンパレードなことは承知だ。
 ハイだったお客さん、東北の災害の様子を聞き及ぶにつれ、気持ちがトーンダウン。完成した瞬間から、この自然の脅威に晒されるのだ。それをまざまざと感じてしまったのかもしれない。
 それでも、我々は作り続けなければならない。因果なものだ。
地震に耐えうる。地震をいなす。設計の際、対応策は何度も何度も検討される。そうやって日本の建築は地震に強くなってきた。今回の震災を受けて、また構造基準が変わるかもしれない。

 しかし、あの津波の前では防御の策は、建物を強くして階数を上げることしかない。今回の地震は地震の揺れで倒壊と言うよりも、津波で流された建物の方が多いと言われている。
 設計の際には、津波が来るところ、土石流が来るところ、そんなところには建物を建てないにこしたことはない。地歴を調べて、そんなことを進言したりするが、狭い日本、そればかりは強要できない。自然とは全く怖ろしい。

 そして原発。自然、神の領域に踏み込んだ人間の浅はかさを強烈に突きつけられた感がある。これが無ければ、救護活動も災害復興も、もっと前向きに進んだろう。だが放射能の呪縛から、何もかもが停滞してしまっている。後の処理については東京電力の人災とも言われているが、自然の前で、もっともっと頭を垂れるべきだった。

 今後、どうなるのかさえ、見通しが立たない。放射能の影響がこれからも福島の土地には、何十年も残ってゆく。日本は物凄く大きな負債を負ってしまった。こんなに美しい土地なのに、子孫に痛みを残した。
 電気の需要要請からの原発。我々もその恩恵を享受してきた。建築屋も電力会社から「オール電化」を進められて、そんな建物も作ってきた。災害時の非常用発電は用意はしているが、今後、電気の供給量が減り続けたら危うい。ガスや油への復帰もありうる。もう二酸化炭素なんても言ってられないだろう。

見通しが立たないことで、日本に大きな閉塞感をもたらしている。
震災から何度も立ち上がってきた日本が、放射能の前に立ちすくんでいる。

工場の被災や関東地方の停電や物資搬送状況から、これからの工事は辛い。災害復興優先で、工事資材や、工事用重機はすべて押さえられてしまっています。
新しい、猿ボボ王国の工事は前途多難です。

自然の脅威の裏で、今年も鰹節王国には菜の花が一面に咲き誇っていた。自然はそんな一面も見せてくれる。地球レベルでは、地震ですらも自然の営みの一環なのだと思う。
やはり原発は自然の営みの一環ではないので、憤懣が沸き起こっているんだろう。
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