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格差にシュン
050521

この仕事をしていると、日頃、見えないハイクラスの方々の暮らしを観ることができる。
テレビなどでは、そのような世界があることが映し出されているものの、画面に映し出された世界ではなく、実際の世界に接すると、また違った広がりとサプライズがある。

当然、上には上がいるものとはわかっている。

しかし、現物を直視してしまうと、チッコイ我が家とどうしても比較してしまうのだ。
「俺、いつか、こんな生活ができるのだろうか。できねぇよなぁ。」

私たちの設計の人間は、「とにかく良いものを観ろ」と先輩方々から言われ続けてきた。
金の掛かったものを見て、「成金趣味じゃん。」とか、「価値観が違うもんね。」とか、「ものと幸せは比例しまいもんねー。」とか、いろんな言い訳を作ってやせ我慢を続けてきた。(笑

とある方の自宅のリビング。
壁面にはマントルピース(暖炉)、ほどほどに明るいファブリック張りのソファ。テーブルは大理石トップ。床は一部石張りのコンビのフローリング。横の壁にはフルスクリーンの映像装置とサラウンドのスピーカー...。

朝は時間が来ると床暖房の暖気運転がなされたり、冷房がかかる。
映画を観たければ、タッチパネルを触れるだけで、窓辺のカーテンが自動に閉まり、スクリーンが下降して、照明が自動的に落ちる。大迫力の映像と音響...。

ちと「やせ我慢」もくるしい。
今回は「うらやましい。」とはっきり表現しちゃおうか。

「いつか、俺も...。」
夢想することに、金は要らない。
そんな夢があれば、頑張れるさ。

「希望格差社会」って言われている。
希望や夢をなくしたら、どうなるのだろうか。
確かに実現は難しいし、今後もたぶん今のままなんだろう。

「スローライフ」に代表されるゆったりとした日常が現れるのかもしれない。
(「コトバの使い方、それは違っているぞ。」とお叱りを受けそうだが。)
価値観の置き場所を、「金やモノ」から「意義」へ変える転化で変わって行くことも理解できる。
実際、多くの部分で自分をそうやって納得させてきている。

どうなんだろ。
それはいつでも出来るような気がする。
たまには「上を向いたっていいじゃないのか。」と発破をかける今日この頃。

半分、日常に耽溺しつつある自分への戒めかな。

気持ちを奮わせる?ん。萎えさせる?ものを見ちまったぜ。
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